日曜日, 5月 24, 0021

MHFから考えるネットゲーム

最近は、MHFをやっているわけだが


どうも、自分を見失っているようで


正直こわい



生活の中心が、完全にそれになっているのだ


やるべきことは、他にもある


それに、これからの事を考えれば、むしろ


ゲームなどやっている時間などないのだ


それでも、それに時間を費やしてしまう



果たしてこれはいいことなのか?



などと考えるのは愚問で


むしろ、ゲームをやるというのは逃げなのか?


ということなのだが



例えば、クソ映画を20本見るんだったら


良ゲーをやっていた方が、よっぽど刺激だ


しかしながら、その良ゲーを生活の中心に置くことは


ゲーム本来の役割ではない


なぜなら、生活の余白にゲームをはめ込むことこそが


ゲームの存在価値だからだ



(ゲーム中心の生活になるくらいならば、クソ映画20本のほうが為になる)




ではゲームとはなにか?


最近は、ゲームをやることは、感情を露呈する”感情の代行行為”になっているような気がする


時には喜び、時には落ち込み、時には怒り


その正体はなんなのか


おそらくそれを知りたくてゲームをやっている気がする


いや、むしろ知らないで踊らされていたいだけなのかも




昔読んだ本のなかで


野球観戦などで一喜一憂している人間は


日々の生活(仕事)のなかで、勝ててない人間だ


と、いうものがあった


当時は全く共感など覚えなかった


むしろ否定的だったのだが


最近、「そういうことか」


と、思えるようになってきた。



それはおそらく仕事に情熱を注ぐ人間から見た


踊らされている人間のことなんだろう


しかし、実際には、踊らされる人間が居なければ


エンターテインメントは成り立たない


だから、そういった思想を公の場で吐露することは


非常に危険だ




まあ、それはさておき



ゲームにのめり込む、ということは


日々の感情が欠落しているから


それによって補完しようとしているのではないだろうか?


(日々の生活(仕事)が充実していれば、ゲームとの距離も


うまく取れるはず)

つまり、心が枯渇している



そう思える



日々、なんとなく生きて


充実感とは程遠い生活に長時間身を置けば


その代替を求めるだろう


その対象は、人によって様々だ


しかし、そんなモノに意味なんてないのだ


それはあくまでも代替


戦って、悩んで、勝ち取るべきものは



他にある


他にあるのだ



また、話がズレた。




オンゲーをやってて思うことがある


本来ゲームとは自分のペースでやるものだ


他人の歩幅に合せた時点で、そのゲーム自体の意味が


変わってしまうからだ



昔、学校で新作ゲーム(とくにRPG)の話で盛り上がったときのことを思い出すと



内容を進めていれば、他のクラスメイトに自慢できる、というような



他人よりも攻略が早ければ、精神的優位に立てるような



でも、それは必ずしもゲームを楽しんだ結果とは言えない訳で



そういう図式は、自慢する側もされる側も、別の目的でゲームを



やらされているに過ぎない。




オンゲーには、どうやらそういう匂いがする


やっているより、やらされている感が非常に強い


例えば、同じ様な時期に始めた他人と知り合ったとしよう


その人は毎日ログインし、コツコツとレベルをあげる


1週間に2~3回のペースでログインする人間とは


1ヶ月後になると、もはや一緒にプレイできるはずも無い


だから、周りと歩幅を合せないと、その出会いそのものに


意味がなくなってしまう




あと、知り合った人間に、基本 わるい人は居ない


と、いうより そもそも悪い人間とはフレにならない


しかし、自分がログインしていると、必ずその人とも繋がりをもってしまうので


人間関係を遮断してゲームに打ち込むことが出来ない



しかし、一方、多人数を念頭においているオンゲにおいて


仲間は、それを進める上で無視はできない、(というより無視したらオンゲの


意味が無い。)


人間のしがらみから逃れたくて、現実逃避をしているのにもかかわらず


逃げ込んだ先でも、人間関係のわずらわしさを感じるこになるのは


ゲーム自体の意味を根本から覆すことではないだろうか



確かに人間の「楽しい」という感情は


ストレスからの解放だったりするわけだが


ゲームは、現実社会に於いてのそれとは別の形で表現しているからこそ


成り立っていたと思う


それが、現実の擬似化によって、その人にかかるストレスのベクトルが


現実と同じものであるならば、もはやゲームがゲームとしての機能を


果たしていない。


(これはあづまひでおの漫画の中でいうところの「夢が夢としての機能を


果たしていない」と同義)



ゲームをやることが逃げかどうかは、その人のゲームに対するスタンスの問題で



時間の隙間でやる分には、適正距離だと思う。



また、ゲームとは、実生活とは別ベクトルの適度のストレスとそれの解放が



プレイヤーの「楽しさ」を演出するので、過度のストレスは害以外のなにものでもない




また、いくら良ゲーでも、そういったものは良ゲーとは言いにくい



そういった意味では、ネットゲーは良ゲーになり辛いと考える。




私にとってのゲームとは、好きな本みたいなもんなんだな。

誰に気兼ねすることなく、自分の楽しみたい時に楽しめて、好きなページを

自分のペースでめくりたいんだ。

そして、いつも本棚の決まった場所に置いてある。

そういうゲームが、私にとっての良ゲーだな。

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