時々思うのだが
今の日本の現状が
民主主義や自由経済・資本主義社会のひとつの終着点ならば
格差社会というのは予め、そのシステムに内包されたものなんだろうな
多様性を求めた結果、さまざまな意見や行動を許容しなくてはならないし
そうなればおおよそ、集団としては機能しない
その先にあるのは、「個人の幸せを優先する」ということ
それはそれでいいのだが、国家としてはどうなんだろうか
国をひとつの家族と思えないということは
どんな事柄も、対岸の火事なんだろう
そうなると、トップも腐ってくる
国政に興味のない国民に対して尽力できる人間などいるのだろうか
否、自分に興味がない人間に対してやさしくはできないものだ
提唱される「幸せ」は、その多様性故に
あらゆる方向に拡散し、結果としてどれも満たせず中途半端なまま
国民の不満は募るばかりだ
しかし、それは贅沢な悩みだ
むかし読んだ本に「インフレを経由してデフレ状態にある経済は、おおむね平和である」
と書いてあった
ともすると、日本はおおむね平和状態
たしかに食うには困らないし、物価も地価も底値だ
それに慣れすぎて、当たり前のものとするならば
この生殺しのような平和からの脱却は不可能だろう
それでも生きて行けてしまう
なるほど、いつか資本主義のひとつの終焉として
他国に紹介される日もそう遠くないな
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