面白いってむずかしいので、追記
人の感性ってのは非常におもしろい
年齢が近ければ、趣向が似ているというものでもないが
ある友人とは付き合いは相当長く、また見てきたものも近いし
同じようなことに興味を抱きながら育ってきたので
非常に似ているし、意見を聞いてても安心できるし、何より納得できる
まぁそれでも最終的には、真逆の人間同士というのだから人間って面白い
さて、年齢が違っても、「面白い」という入口の共通認識はかなりあって
ほほう、わしもまだまだ感性が若いのぅ、ほっほっほっほ
カクさん!スケさん!!といった具合なのだが
それはあくまでも「入口」までの話
同じ映画を見たとしても、見ているところがまるで違っていたりする
(それが物語りとはおおよそ関係の無いとことだったりするから始末が悪い)
例えば、ロボット映画を見たとして、あのロボットの動きがちょっとだけありえない
だとか、ロボットのディティールがかっこいい、というのは映画の感想と違うと思う。
ロボットや世界を構成する世界観は、物語を作る舞台装置であり
それ以上でもそれ以下でもない。
それに惹かれてその作品をみるというのはいいだろう。
しかし、それに終始した感想しかないのだとしたら、
バーニィも残念がると思うよ。
まぁそれが、内容も薄っぺらい様な映画ならばアリだと思うけど。
漫画の趣味とかでも同じだな。
全く違うと、「ああ、世の中っていろんな人が居るんだな」って思い知らされる
しかし、そういった作品にも、私には感じられない「面白い」部分がある訳で
それは完全否定などできないのだ。
今までは、それが何なのかを知りたいと思い、読んでみたりしたのだが
最近では、それも面倒になり、ま・いいか。そういうのもあるんだね・程度で
済ますようにしている。つーか疲れるわ、正直。
自分の感性や趣向が商業ベースの売り上げ至上主義的な考えからすると
メインストリームからはかなりかけ離れていることは自覚している。
でも、作るなら自分の信じたもので行きたい・が、状況が許さなかったり
するんだろうな。
かなり茨の道だけど、そうじゃなきゃ作る意味なんて無い。
でも、誰にも同意を得られないもの作っても・・・という事も
自分のなるべく作りたいものを作り、なるべく多くの人に面白いを与えられる
そんなところに落ち着くのだろうか
あ~あ、面白いってむずかしい・・・。
日曜日, 8月 31, 0020
面白いって・・・ナニ?
重松清「疾走」を薦めてくれた友人に、この本の感想を聞いてみた。
「面白かった!」
だそうです。
そこで、私は????となった。
彼は非常に読書家で、表現する言葉は非常に豊富だとうことを初めに断っておく。
私としては、何が面白かったのかを聞きたいのだが
それ以上の言葉はないそうだ。
面白い・という言葉は非常に広域な意味を含んでいる
受け取り手によっては、誤解を招く可能性がある。
多くを語らずに「面白い」という非常にシンプルな感想というのも
なかなか本人の性格や気持ちを表現しているなぁ・とも思えるが
本の感想としては、なんとも受け取りづらく、また真意を掴みづらい
(感動した・とかも同様)
人に本の感想(映画とかゲームでも)を聞くときに
何を求めるか、というと
この本を読んでその人がどのようなシーンで、どんなことを思い・考えたか
ということだ。
それが自分と同じであれば、すごくうれしいし(ま・これを求めてる場合が多いが)
違う感想でも、「ほう、こういう見方や考え方もあったか!」という発見が面白いのであって
単に「面白い」という自己完結的且つ多様性に富み非常に含蓄の在る感想は
私のような、薄っぺら人間にはおおよそ計り知れないものでございます。
だって人はさ、共通の「面白い」の先の分岐にこそ、その人の趣味・思考が現れるわけで
それが、その人を構成している要素でもある訳じゃん?
その手前で、終わりってんだったら、「もういいです」って感じだよなぁ
つーか、もうその人には感想は聞かないことにする
(だったら、「ダンサーインザダーク」や「桜の国・夕凪の町」を読んでも
面白い・の言葉しかねーのかっ!と考えてしまう)
面白いってむずかしい。
「面白かった!」
だそうです。
そこで、私は????となった。
彼は非常に読書家で、表現する言葉は非常に豊富だとうことを初めに断っておく。
私としては、何が面白かったのかを聞きたいのだが
それ以上の言葉はないそうだ。
面白い・という言葉は非常に広域な意味を含んでいる
受け取り手によっては、誤解を招く可能性がある。
多くを語らずに「面白い」という非常にシンプルな感想というのも
なかなか本人の性格や気持ちを表現しているなぁ・とも思えるが
本の感想としては、なんとも受け取りづらく、また真意を掴みづらい
(感動した・とかも同様)
人に本の感想(映画とかゲームでも)を聞くときに
何を求めるか、というと
この本を読んでその人がどのようなシーンで、どんなことを思い・考えたか
ということだ。
それが自分と同じであれば、すごくうれしいし(ま・これを求めてる場合が多いが)
違う感想でも、「ほう、こういう見方や考え方もあったか!」という発見が面白いのであって
単に「面白い」という自己完結的且つ多様性に富み非常に含蓄の在る感想は
私のような、薄っぺら人間にはおおよそ計り知れないものでございます。
だって人はさ、共通の「面白い」の先の分岐にこそ、その人の趣味・思考が現れるわけで
それが、その人を構成している要素でもある訳じゃん?
その手前で、終わりってんだったら、「もういいです」って感じだよなぁ
つーか、もうその人には感想は聞かないことにする
(だったら、「ダンサーインザダーク」や「桜の国・夕凪の町」を読んでも
面白い・の言葉しかねーのかっ!と考えてしまう)
面白いってむずかしい。
金曜日, 8月 15, 0020
重松清「疾走」読了
小説を一気に読んだのはいつぶりだろう?
本を読むことが得意でない私は、何日も何日もかけて
本を読む
すると、「読む」という行為自体が義務化して大抵ストレスに変換される
しかし、この小説 まさに疾走するように読んだ
この小説の感想をインターネットで検索すると、沢山の大絶賛とともに
残酷すぎる・暗すぎるという意見もかなり散見された
たしかに、いじめの描写や暴力描写などは、どれも目を覆いたくなるだろう
しかし、それを残酷すぎる・暗すぎる でカタつけていいのだろうか?
わたしは、上巻を読んだ感想は「暗い」より「痛い」である。
あまりの痛さに、途中で何度も本を投げ出そうと思ったほどだ
しかし、それは過去の自分と向き合わない不誠実さを感じて、また読み始める
下巻に再度、本を投げ出そうと思った箇所がある。それはイタミではなくイカリでだ。
主人公の少年が、同い年の女の子に何度も電話をするシーンだ。
電車に乗って主人公に会いに来る女の子の携帯電話に、何度も何度も電話をする。
女の子は足が悪く、松葉杖を突いて歩いている。そんな彼女に何度も何度も。
女の子は怒る。私も怒る。
少年と女の子は生を否定していた。しつづけていた。
こんな救いようの無い話でも、最後の最後に生を肯定する。
そこにこの小説の答えがあった。
読んでいるうちに、今まで読んだ本のタイトルや詩が何度か頭をよぎった
白夜行・イビサ・東京・
そのどれもが似ているようで、決定的に違うなにかがあったが
なぜか思い浮かんだのだ。
私にとって上巻と下巻はテーマが異なる。
上巻は過去・罪
下巻は未来・赦し
読み終えたときに思った
これは現代の聖書の詩篇だ・と
聖書にはことばがある。
しかし、そこに救いの答えはなく
ただ、読む人にことばを与えるのだ
そこから救いを見出すのは読む人なのだ
この小説も、一見すると救いの無い主人公の人生に
生を見出せるかは、読み人次第なのだ
私は最後のページの子供の名前を見た瞬間
思わず泣いてしまった。
ああ、私は生きていていいのだ・と
そう感じた。
本を読むことが得意でない私は、何日も何日もかけて
本を読む
すると、「読む」という行為自体が義務化して大抵ストレスに変換される
しかし、この小説 まさに疾走するように読んだ
この小説の感想をインターネットで検索すると、沢山の大絶賛とともに
残酷すぎる・暗すぎるという意見もかなり散見された
たしかに、いじめの描写や暴力描写などは、どれも目を覆いたくなるだろう
しかし、それを残酷すぎる・暗すぎる でカタつけていいのだろうか?
わたしは、上巻を読んだ感想は「暗い」より「痛い」である。
あまりの痛さに、途中で何度も本を投げ出そうと思ったほどだ
しかし、それは過去の自分と向き合わない不誠実さを感じて、また読み始める
下巻に再度、本を投げ出そうと思った箇所がある。それはイタミではなくイカリでだ。
主人公の少年が、同い年の女の子に何度も電話をするシーンだ。
電車に乗って主人公に会いに来る女の子の携帯電話に、何度も何度も電話をする。
女の子は足が悪く、松葉杖を突いて歩いている。そんな彼女に何度も何度も。
女の子は怒る。私も怒る。
少年と女の子は生を否定していた。しつづけていた。
こんな救いようの無い話でも、最後の最後に生を肯定する。
そこにこの小説の答えがあった。
読んでいるうちに、今まで読んだ本のタイトルや詩が何度か頭をよぎった
白夜行・イビサ・東京・
そのどれもが似ているようで、決定的に違うなにかがあったが
なぜか思い浮かんだのだ。
私にとって上巻と下巻はテーマが異なる。
上巻は過去・罪
下巻は未来・赦し
読み終えたときに思った
これは現代の聖書の詩篇だ・と
聖書にはことばがある。
しかし、そこに救いの答えはなく
ただ、読む人にことばを与えるのだ
そこから救いを見出すのは読む人なのだ
この小説も、一見すると救いの無い主人公の人生に
生を見出せるかは、読み人次第なのだ
私は最後のページの子供の名前を見た瞬間
思わず泣いてしまった。
ああ、私は生きていていいのだ・と
そう感じた。
月曜日, 8月 11, 0020
いいもの。
合理性がないものってのはダメだな
つまりイメージ先行
まあ・映画とか音楽は良いんだろうけど
こと建築に於いては
良いことなどない
建築に於いて、デザインを優先することほど愚かしいことはない
例えば、デザインを優先するあまり、雨漏りをする家に誰が住みたい?
だからこそ、デザインの合理化が必要なのだ
そこに工業製品のような美しさがあればすばらしい
つまり機能美
そこまでできないのならば、建築業界から去ればよい
建築ならば雨仕舞い・耐震強度・メンテナンス・施工性を優先して考えるべき
よく建築専門誌で目にするデザイン住宅
空間演出はすばらしいが、建物のメンテナンス状況はどうなってるのかが
非常に興味深い
建築家がわざわざ雑誌に金を払って載せている自分達の作品に
不具合を報告するはずもなく
実際に住んでいる方のお話を聞いてみたいものだ。
それも5年10年と経過した家に。
つまりイメージ先行
まあ・映画とか音楽は良いんだろうけど
こと建築に於いては
良いことなどない
建築に於いて、デザインを優先することほど愚かしいことはない
例えば、デザインを優先するあまり、雨漏りをする家に誰が住みたい?
だからこそ、デザインの合理化が必要なのだ
そこに工業製品のような美しさがあればすばらしい
つまり機能美
そこまでできないのならば、建築業界から去ればよい
建築ならば雨仕舞い・耐震強度・メンテナンス・施工性を優先して考えるべき
よく建築専門誌で目にするデザイン住宅
空間演出はすばらしいが、建物のメンテナンス状況はどうなってるのかが
非常に興味深い
建築家がわざわざ雑誌に金を払って載せている自分達の作品に
不具合を報告するはずもなく
実際に住んでいる方のお話を聞いてみたいものだ。
それも5年10年と経過した家に。
ネトゲについての最近の雑感
ネットゲーム否定派の自分ですが
最近はMGOで汗をかいている日々
おもしろいぞ、MGO!
しかし、オンラインならではのストレスを感じるのも事実
特に教官指導部屋などでよく見られる
「自分勝手な行動」
ルールがわからない・初めてなので何をして良いか判らない
というのは良くわかる
しかしながら、明らかに団体行動を乱すP(プレイヤー)がいるのだ
しかもかなりの数
ゲームは自由度を求めてオンラインという海原に漕ぎいでたが
そこには人と人とのルールという見えざる壁により
束縛を受けることとなった
なんとも皮肉
しかしながら、そいつの行動はゲームとしては正しいのだ
オンゲーとしてはアウトだが、オフゲーとしてはアリだ
つまり空気が読めない・読まない人間にとって
オンゲーは居所が無い
空気が読める人間が集ってこそのオンゲー
しかし、他人に気を使いながらのゲームって
昔、俺がやってたゲームの楽しみ方と
大分違うなぁ・という感想
最近はMGOで汗をかいている日々
おもしろいぞ、MGO!
しかし、オンラインならではのストレスを感じるのも事実
特に教官指導部屋などでよく見られる
「自分勝手な行動」
ルールがわからない・初めてなので何をして良いか判らない
というのは良くわかる
しかしながら、明らかに団体行動を乱すP(プレイヤー)がいるのだ
しかもかなりの数
ゲームは自由度を求めてオンラインという海原に漕ぎいでたが
そこには人と人とのルールという見えざる壁により
束縛を受けることとなった
なんとも皮肉
しかしながら、そいつの行動はゲームとしては正しいのだ
オンゲーとしてはアウトだが、オフゲーとしてはアリだ
つまり空気が読めない・読まない人間にとって
オンゲーは居所が無い
空気が読める人間が集ってこそのオンゲー
しかし、他人に気を使いながらのゲームって
昔、俺がやってたゲームの楽しみ方と
大分違うなぁ・という感想
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