月曜日, 4月 21, 0020

3もいいじゃないか

最近、よく見ている映画は「WⅩⅢ」(パトレイバーの劇場3作目ね)


今までは、あんまり評価していなかったのだが


見方を誤っていたことに気が付いた。



連載時でも廃棄物13号の話は、ちょうどパトレイバーから離れていった時期にあたり


馴染みが無かったせいか、DVDも豪華版で持っているのに、あまり見ていない


ってのが現状でした。


パトレイバーと怪物・・・うーん、ときめかない。


そこが間違っていたのだ。パトレイバーとして見てはいけなかったのだ。


レイバーやいつもの面子はおまけでありファンサービスなのだ。



あの映画で感情移入すべき人間は、岬もしくは秦だが


新キャラの為、なぜかしっくりこない。


でも、それはパトレイバーとしてみているから。



怪物も「制御不能な力」の象徴であり、それを取り巻く政治的策謀や


軍事転用など、国家レベルのプロジェクトの危うさを具現化したものだ。





米軍との共同開発?で生まれた実験体としての怪物。それに死んだ娘の癌細胞を融合させる


ことで、制御不能な怪物へと成長した。怪物に死んだ娘を重ねる岬。


幸せな時間を一度に奪われた彼女は、思い出の「何か」にすがらねば生きてさえ行けない。


そんな、儚い彼女に惹かれる秦。



秦は、強気な視線の奥に潜む闇と儚さに、惹かれたのだろうか。


支えたい、けれども、いったいなにと彼女は戦っているのか?


それを十分に考えてる時間など、もうなかった。

救いたいが、救えない。岬にとっての娘、秦にとっての岬

とても切ない物語なのだ。

ところで、演出で気になったところが一点。


廃スタジアムに怪物を追い込んで、録音した娘のピアノが流れるシーン


結構好きな場面なのですが(所謂、富野的演出ね)



あのシーンで岬が秦の手を振りほどいて階段を駆け上がるシーン


岬は「・・・離して」と畠に、つぶやくように、しかし強い意志で言い放つ。


気圧された秦は、思わず手を放してしまう。


このとき、岬の顔は見えないほうが良いのではないだろうか。



もしくは、横顔で唇のみ写るくらいの寄りのカメラで


彼女の表情は、畠のリアクションで想像させたほうが、より印象的なシーンに


なったと思う。


因みに、あのピアノ曲 ベートーベンの「悲壮」ですが

あの曲は、ベートーベンが、最も心を病んでいたときに作曲したものだそうで

あのシーンは、まさに岬の心情を表している。

ナイスです。

2 件のコメント:

T さんのコメント...

おっ、久々のエントリですね。
この作品は当時から”怪獣映画”としての評価は
高かったよね。とり・みきが脚本書いた時点で、
怪獣映画へのオマージュ溢れる作品になる事は必然
であったように思われます。
漫画版の廃棄物13号上陸に至るまでの
緻密な描写に魅入られた身としては、
この映画版の描写は人物造形の弱さと、
その演出の堅実さ故の物足りなさが残る作品でした。

スタジアムのシーンはいいよね。
押井守ならああいう演出やらないだろうから。

SANDAL さんのコメント...

いやぁ、最近は忙しくって

ブログ書く気力が・・・

まだしばらくこの忙しさは続きそうですが

ほんのちょびっと精神的負荷が

軽減されたので

ちょこちょこ更新するつもりです。